Google対OracleのJava API訴訟。歴史的経緯とIT業界への影響を考える(その3)。JJUGナイトセミナー
2016年5月、GoogleとOracleがJava APIを巡って争っていた裁判に最初の陪審員による評決がくだりました。結果は、GoogleがJava APIをAndroidに流用したことはフェアユースにあたる、というものです。
この評決にはどのような背景があり、IT業界にどんな影響を与えるものなのか。このことをテーマに2016年7月に行われた日本Javaユーザーグループ主催の「JJUGセミナー」の内容を紹介しましょう。
記事は全部で4本(その1、その2、その3、その4)。いまお読みの記事は「その3」です。
GoogleとOracleの裁判、3つの論点
テックバイザージェーピー 栗原潔氏。
メインフレームの開発やOS/2の開発などをして、そのあとガートナーでアナリストを10年経験し、いまは独立して弁理士兼ITコンサルタントをしています。
OracleとGoogleの裁判ですが、基本的にポイントが3つありました。
1つは特許権侵害。これはOracleがサン・マイクロシステムズの買収にともない、取得した特許権に基づくものです。
もう1つはJavaライブラリの実装コードそのものの無断複製。実際にはrangeCheck()というわずか9行しかないコードです。
この2つは、GoogleはOracleの特許権を侵害していないという判決と、APIは著作権法で保護されるという判決が確定しています。
実装されたコードが著作権で保護されるとして、ではAPIまで著作権で保護されていいのか、という議論は当然あります。しかし実際、JavaのAPIは米国の著作権法で保護されることで判決が確定しました。
ではこれでAndroidへJava APIを流用したGoogleは負けかというと、APIは著作権法で保護されるけど、今回はフェアユースだからGoogleは著作権を侵害していないよ、という主張ができるわけです。
そして2016年6月に、GoogleによるJava APIの無断流用はフェアユースに当たるので著作権の侵害にはなりませんという「評決」が出たと。
ただしOracleは控訴すると伝えられています。まあ当然ですね。
評決というのは陪審員による結論です。評決のあと裁判官が判決を出すことになると思いますが、ほとんどのばあい評決がひっくり返ることはないので、このまま判決になると考えられています。
評決文がこれです。アメリカでは裁判資料がネットで公開されているのでひっぱってきたのですが、「Googleは、Java2 SEの宣言コードとSSOを利用したことが著作権法上の『フェアユース』にあたると十分な証拠を示しましたか?」に、イエスにチェックしたと。
ここで出てくる「SSO」とは、structure sequence organizationのことで、字面だけでなく設計や構造のことまで含めています。評決文はこのようにあっさりしているので、詳しく分析するにはこのあと出てくる判決文を見なければなりません。
陪審員がイエスにチェックしたことで、Oracleによる一兆円の損害賠償の訴えが消えるわけで、これをチェックする人は手が震えないのかなって、思いますね。
解釈論と立法論
ここから法律的な議論をしたいのですが、一般的な話として、法律論を議論するときに注意をしなければいけないのは、「解釈論」か「立法論」か、というところです。
解釈論というのは今の法律をどう解釈して事件に適用すべきかで、裁判はこの話です。今日もこの話をします。
ただ、立法論という議論もあって、それはそもそもどういう法律であるべきか、どういう制度であるべきか、というものです。
これをごっちゃにすると話が収束しないので、いまはどちらの議論をしているのか、明確にすることが必要です。
ここでは、まず解釈論をお話しして、最後に私の立法論的な話もしたいと思います。
著作権法とは
著作権法は、著作物の利用について一定期間の独占権を与えることで、保護と利用のバランスをとる。ポイントは保護と利用のバランスをどうとるかで、保護が強すぎても利用が強すぎてもいけないと。
両者をよいバランスで塩梅しようというのが著作権法の目標です。
大原則として、著作権は出願などをしなくても自動的に発生する。作品をクリエイトした人に著作権が与えられるというのが著作権法の基本的な仕組みであります。これはベルヌ条約に基づいているので万国共通です。
ただし一定の条件下で権利が制限されるフェアユースなどがあって、この扱いが国によって違います。
なぜプログラムが著作権法で保護されるのか
なぜプログラムが著作権法で保護されるのか。本来、著作権における著作物の定義は「思想または感情を創作的に表現したもの」でした。
コンピュータープログラムは文芸作品とは違いますよね。例えば文芸作品なら、ライバル関係にあるグループに所属する男女の恋仲というアイデアをベースに、いろんな文学作品が書けます。
ところがコンピュータプログラムの場合、例えばSJISからUnicodeへ変換するというアイデアを実装する際に、効率的なコードを書こうとするとそんなに表現にばらつきがあるわけではないと思いますので、これを著作物とするのはちょっと無理があります。
ではなぜそれが著作権法によって保護されるのかというと、ここはちょっと立法論に関連しますが、1980年代初頭にはまだコンピュータプログラムを保護する制度がない状態で、当時はプログラムがコピーし放題でした。
しかしIBMのコードを国産メインフレームにコピーして使っていたという事件などもあり、法律でプログラムを保護しなくてはいけないということになりました。
日本では著作権法とは別にコンピュータプログラム保護法を作ろうと主張していたのですが、米国の働きかけによって著作権法で保護することになったと。
しかし著作権法による保護期間は50年とか70年と長いので、工業製品の保護をするのにはいい法律ではないように思いますが、世界的にコンピュータプログラムを早急に保護するにはやむを得なかったのかなとも思います。
フェアユースとは? 日本と米国での例外規定の違い
著作権法の大原則は、著作物の利用には著作権者の許諾が必要だということ。これは日本も米国も一緒です。
ただ例外規定、つまり利用者が著作物を自由に利用できる条件としては、日本の場合には法律にどう記載されているかが最優先です。例えば引用ならオーケーとか、私的目的や報道目的なら常識的範囲でオーケーとか、法律に書いてあるのでそれに従えば大丈夫。
米国でも法律に記された条件はあるのですが、もっとひろい範囲で認められています。それがフェアユース、公正な利用であればいい、ということです。
具体的な条文でもフェアユースであれば著作者の権利が制限されると書いてあって、じゃあどういう形だとフェアユースなのかというと、判断基準しか書いていません。判断基準を現実にどう適用するとフェアユースなのかは、個別には裁判の場で被告と原告が争って判決が出るとそれが判例となり、その後の判断に影響を与えることになります。これが米国のやり方です。
では、どういう場合にフェアユースになるのか。まず著作物を利用する際の目的と性質です。
ビジネスでやるのか非営利でやるのか、非営利であればフェアユースとされる可能性が高い。例えば、漫画本をコピーして売ったりすればフェアユースとは認められないと思いますが、パロディをつくってコミケで安く売るとかネットで公開する場合、もしかしたらフェアユースと認められるかもしれないとか。
また、映画みたいな莫大な予算で作られたもののコピーは認められにくいとか。
全体との関連で、まるまるコピーするのか、一部をコピーするのか、などもフェアユースの判断に影響します。
ただ、フェアユースかどうかを判断するうえで一番大きい要素は、潜在的な市場または価値に対しての影響です。その著作物を利用することで、市場としてのメリットがあるかどうか、この要素が重視されることが多いようです。
例えば、パロディが作られたことによって元作品が売れなくなったということはなく、逆に知名度が高まって売れ行きがよくなればフェアユースと認められる可能性が高い。
ひとことで言ってしまえば、社会的にメリットがあると判断されれば著作者の権利は制限され得る、というのが米国的な考え方です。
GoogleによるJava APIのAndroidへの無断流用がフェアユースかどうかど考えるとき、このポイントを押さえておく必要があります。
また、日本と米国の著作権例外規定の考え方にも違いがあります。日本では法律に書いてあることが重視されるので予測可能性が高く、事前に著作権違反かどうかがわかりやすい。
一方、米国はグレーのところは裁判してみないとわかりません。しかし社会や技術の変化には迅速に対応できるという特徴があります。
例えば、家庭でテレビ番組を録画しても著作権侵害にならない、という理由について、日本では私的使用目的の複製は自由に行えると書いてあります。一方、米国は裁判になっていて、これはベータマックス裁判と呼ばれたのですが、最高裁まで行ってタイムシフト録画はフェアユースであるとの判決が出たわけです。
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