村井教授「絶対に個人からパワーは生まれる」、夏野氏「この25年は西暦2100年頃の教科書に載る」、Web生誕25周年パネルディスカッション「Webの現在から未来へ」(前編)

2014年3月17日

「HTML5とか勉強会」と「W3C」は、Web生誕25周年記念イベント「Webの過去、現在、そして未来」を合同で3月13日に開催しました。イベントでは村井純慶應義塾大学教授の講演に続き、村井教授、元NTTドコモ執行役員の夏野剛氏、HTML5jファウンダーの白石俊平氏、NTTコミュニケーションズの小松健作氏らをパネラーに、新野の司会によるパネルディスカッションを開催。25年のWebの歴史を振り返りつつ、これからのWebでなにが重要となるのかなどについて議論をしました。

本記事ではそのダイジェストを前編中編後編に分けて紹介します。

fig 左から、小松健作氏、白石俊平氏、夏野剛氏、村井純氏、モデレータの新野

Webの25年を振り返る

新野 まずはWebのこの25年を少し振り返りつつ、この先のWebやWebが社会に与える影響について壇上の皆さんと議論をしていきたいと思います。

私なりにWebの25年をまとめてみました。

fig

25年前の1989年に、ティム・バーナーズ=リーさんがWebの技術を作りました。

1993年にNCSA Mozaicをマーク・アンドリーセンさんが作って、これが後にNetscapeになるわけで、ここからWebブラウザが急速に広がってきました。1995年にWindows 95が登場します。このOSには最初からTCP/IPとIntenet Explorerが含まれていて、普通の人がインターネットに接続するのが簡単になっていきます。

1999年にはiモードが登場して、Webがパソコンだけでなくてモバイルでもつながりはじめ、2005年にはWeb 2.0が話題になって、Webがコンテンツ中心だったのがだんだんインタラクティブになっていきます。。

2011年には3.11があって、ソーシャルメディアが社会インフラとして注目されてきました。

新野 村井先生はWebの登場以前、telnetやftpといった時代からインターネットに関わっていらっしゃったわけですが、Webが登場したときに村井先生はどういう印象を持ったんですか?

村井 インターネットは遅い!(笑)

これね、ハイパーテキストをテッド・ネルソンが考えたときは概念だったんです。ところがWorld Wide Webっていうのは、そのテキストがどこにあってもいいという状況でしょ。インターネットのディレイがなくなったとする、十分速くなったらこれはあり得るよねと。これがWorld Wide Webのポイント。

これがダイアルアップでときどきリンクしている先にテキストがあったのでは使い物にならない。いつでもつながっていて、しかも速い、という状況になってHTMLというのは意味を持ってくると。

(ここで夏野さんが遅れて登場)

新野 夏野さん、よろしくおねがいします。みなさんと一緒にWebの25年を振り返っていたところだったのですが。

夏野 iモードのサービスはね、インターネットの敵だとか最初言われてたんですよ。あんなのはHTMLじゃないとか。でも、あの当時で最大限にHTMLに似せたと。

あの当時できた技術でギリギリまでHTMLに準拠したんですが、思想はHTMLと同じで、できるだけHTMLに書かれているものを携帯電話の6行×8文字の画面に載せようと。だってもうしょうーがないじゃん、あのときの技術なんだから。

で、ちなみにその後でWAPというもっともくだらない仕様がでたときに、はじめてiモードが評価されて、はじめてHTMLの仲間に入れてもらえたんです。だからHTMLです!

Googleマップの登場は大きかった

新野 さて、本題の1つ目はこの25年を振り返っていただいて、これは大事な技術だったなあ、あるいは大事な出来事だったなあ、ということをお伺いしたいと思います。そのあと、それを踏まえてこの先の25年を見たとき、これが大事なるのではないか、こういうことが起きるのではないか、ということもお伺いしていきます。

まず私の遠い方、小松さんから少し自己紹介をしていただいたうえで、Webの25年を振り返ってみていただけないでしょうか。

小松 もともと僕はWebの人じゃないんですね。例えばFletsというサービスがあって、あれを作ったり。

新野 小松さんはNTTコミュニケーションズの人なのでインフラの人ということですよね?

小松 そうです。手短にありがとうございます(笑)。で、インフラを作っているときに、もっとWebブラウザ側でいろんな機能が動くようになってくると、サーバを軽く作って、もっと低コストでいいサービスが作れるんじゃないかとずーっと思ってたんですね。

そういうときに2009年頃HTML5がでてきて、これは僕が理想に思っていたことができるようになるじゃないか、ということで飛び込んだというのが始まりです。

新野 その視点から、自分にとってこれが重要だったというのがあれば教えてください。

小松 僕にとっては2004年にGoogleマップが登場したのは大きかったですね。Webでこういうことができるんだと。それからもう少し振り返ると、日本に定額インターネットを作ったのは大きかったんじゃないかなと。インフラやプラットフォームが変わることによって、そのうえで動くものが変わってきたと思います。

新野 では白石さんにもこの25年を振り返っていただいて。僕から見ると、白石さんはコミュニティを作ったというのがいちばん大きな変化のようにみえるのですが、どうですか?

白石 コミュニティを作ったときにはこんなに大きくなるとは思っていませんでしたし、HTML5ってこんなに流行ると思ってなかったですね。まったくもってわからなかったです。コミュニティってなんだろうってよく考えるのですが、コミュニティって始めるのは簡単なんですよ。技術に興味がありまっすl、でもひとりで勉強するのはイヤです、じゃあ勉強会やりましょう! となったら、そこでもうコミュニティが始まるんですよね。

誰でもコミュニティはじめられることができますし、お金もかからない、オンラインで人とすぐつながる。勉強しなくちゃいけないことはいっぱいあって、群れてやりましょうという中で面白い社会現象なんだと思います。

Netscapeの登場、検索、ソーシャルメディア

新野 続いて夏野さん。夏野さんはW3Cのアドバイザリーにも就任されていたという。

夏野 アドバイザリーではなくて、アドバイザリーボードのメンバーを去年まで4年間やらせていただいて、去年から普通のメンバーなんですが。

25年間のこの3つの大きな出来事って何かって考えると、1つ目は、94年にNetscapeが出てきた。僕そのときちょうどアメリカにいたんですね。そのときにアメリカにいなかったらiモードはなかった。

アメリカのビジネススクールの大学院にいっていて、インターネットがビジネスにどう影響を与えるかっていう授業があったんですよ。(会場、ほほう)

それを受けていたので、趣味とビジネスが一致した瞬間みたいな。94年の秋。

新野 それまでインターネットへの興味はあったんですか?

夏野 僕はめちゃめちゃPCオタクだったんです。だけどftpでデータをダウンロードするとかメールするとか、その程度だったんです、それまでのインターネットって。だけど94年にビジネススクールのコースで「航空会社の予約システムがインターネットとつながったらどうなると思う?」とか「銀行のATMがインターネットにつながったら、どういう革命が産業に起きるんだ?」と、こうくるわけです。いまだと当たり前のことになってますが、それで影響を受けちゃって、日本に帰ってきて起業したら大失敗しちゃったと。(笑い)

それはハイパーネットという会社で、社長が「社長失格」という本を書いた、その副社長が私です。

新野 あの無料プロバイダーの登場は衝撃的でした。

夏野 まあ失敗しちゃいましたが。あのときは、証券会社も(ネットで)証券取引はしてないし銀行もひとつもやってないし、だから航空会社へ行って「インターネットで予約できるようにしましょう」って、インターネットの営業をしてたんです。

新野 ハイパーネットを知らない人もいると思うので補足しますと、広告を見るとインターネット接続がタダになるというプロバイダでした。

夏野 当時30万人の会員がいて、当時の30万人はISPとしてはすごく大きな規模でしたが、広告価値はほとんどないし、広告する人もほとんどいなかったという。コンピュータの広告しか出ないと。いまから思えば早すぎましたね。でもその失敗がなければ、iモードはなかったですからね。

それから2番目の大きなことは、検索ですよ。Googleが1998年にページランクの仕掛けで検索というものを飛躍的にリアリティあるものにした。僕は最近の講演でよく言うんですが、98年以前に修論とか卒論書いた人はどうやって書いていたんだ? と、図書館かと。

これが2番目の革命。これによって個人の情報収集能力が上がった。それまではどこかの組織に属さないと、例えば通信ならNTTの研究所に所属しないと情報収集できなかったのが、いまはNTTの研究所の最先端の論文が全部Webに載ってるみたいな状況ですよね。

3番目の大きなことがソーシャルメディアの登場で、個人の情報発信能力が飛躍的に拡大した。Facebookが大学生以外のアカウントに解放されたのが2007年なんです。だから94年、98年、2007年というのが、まあほかにもいろいろあるんですが、いちばん大きな影響を与えたものではないかなと思います。100年後の歴史にも残るものじゃないかなと思ってます。

ビル・ゲイツに勝った! って思った

新野 夏野さんはモバイルの先鞭をつけた人だったわけじゃないですか。モバイルは夏野さんの中ではどういう位置づけになっているんですか?

夏野 僕は、ビル・ゲイツさんがThe road aheadという本を96年に出しているんですよ。その中に、「PCがどんどん小型化されて、小型化されたものをみんなが持ち歩くようになって生活が便利になる」って書いてあるのを見て、勝った!って思ったんですね。

なぜならPCが小さくなるよりケータイがそれを(最新技術を)吸収していく方がスピードが速いだろうと思って、ケータイの中にあらゆる機能を詰め込んでいこうということを発想をして、それで97年にNTTドコモに入ってやってたんですね。

モバイルというのは実は、人間の体に一番近いコンピュータなんだけど、いかんせん当時は要素技術が伴ってなかったんで、あの当時はあの程度でした。

新野 あの当時は、NTTドコモは自前のネットワークを持ってたのに、そこを使わずにインターネットに乗せた。いまとなっては当然のことのように見えますが、あれを当時のNTTドコモがやったことには大きな意義があったように思います。

夏野 あれはNTTドコモがやったんじゃないんです。iモードチームがやったんです(笑)

まずHTMLでしょ、それからGIFを使ったんです。そのあとJavaを入れて、Flashを入れて、MIDIでしょ、それからおサイフケータイに入れたのはFelicaでしょ。NTTの技術は一切使っておりません!

村井 僕、夏野さんがね、iモードで仕掛けたいろいろなもの、たくさん知ってるんですけど、いまネットに流れてるんで言えません。(笑)

でもモチベーションがね、心からのモチベーションがあって、それがちゃんと製品になるところがすごいですね。

オリンピックがWebの歴史を作った

新野 さて、村井先生がインターネットの人だというのは重々承知で、Webの25年を振り返って何が大事だったかお話いただければと。

村井 私は大学の先生ですから、みんなが気づいてないことを言うのが役割だとすると、さっき夏野さんの話で94年に夏野さんがインターネットのビジネスを学んで、という話をしてましたが、要するにインターネットの商用化って日米ほとんど時期が一緒で、それでどっちもすごいストラグルして、どうやったらインターネットって金取れるかと、最初はインターネットにつなげたらお金を取る、というモデルだった。

そのあと、さっきの夏野さんの、「飛行機の予約システムがインターネットにつながったら?」というストーリーは、インターネットがどうやってお金を稼ぐかにつながっていて、この鍵を開けたのがWebなんです、それはなにかというとオリンピック。

1994年のリレハンメルのWebサイトはなんとサン・マイクロシステムズがやって。これが初めてオリンピックのWebサイトを作った例で、アクセスが世界中から来た。

それこそ当時は商用ブラウザが出たところだから、みんなでWebってなんだろうというアーリーアダプタがオリンピックをエンジョイしたの。

そして、オリンピックの情報システムをやっていたIBMが1996年のアトランタオリンピックで初めての公式Webサイト、atlanta.olympic.orgを作った。オリンピックって海外で見たことはあります?

新野 僕はないです。

村井 僕はあるんだけど、柔ちゃんが金メダル取ったときにイギリスのテレビはみんな乗馬なんですよ。オレは柔道が見たいのに、馬しかやってないんです。

新野 イギリスは乗馬が人気だからそうなっちゃうんですね。

村井 つまり国によっても個人によっても見たいものが違う。それをWebサイトがどうさばくか、というときに、じゃあCookie使うか、っていうことで後ろにデータベースを並べて、cookieとの関係を結びつけて、ダイナミックにトップページをアレンジしよう、ということをやった。

グローバルな分散システム、CookieでダイナミックなWebっていうのはアトランタでやりました。

村井 1998年には長野オリンピック。これはパラリンピックと一緒にやって、それでW3Cもすごくアクセシビリティに力を入れて、HTMLの中に、それをテキストで読んだときにどういう文章になっているかとか、画像に説明を入れるとか、このことは、いわゆるWeb for everyoneというものに対する強力なメッセージになったのね。

だから1994年のリレハンメル、1996年のアトランタ、1998年の長野というのはWebの中でひとつの歴史を作っているんです。

それで2020年に日本にオリンピックが戻ってくるときに、それじゃあこのコミュニティはどういう世界を作るのか、シンボリックなことを、あと6年あるから、それをやるというのがいいのではないかなと思います。

って、これ未来の話までいっちゃったか(笑)

新野 やー、このままお伺いするつもりですので大丈夫です(笑) 僕もオリンピックがそういう大事なマイルストーンになっていることは全然知りませんでした。

≫中編に続きます。中編では、村井教授がインターネットを作ってきた中で、痛い! と思ったことなどについて。

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Junichi Niino(jniino)
IT系の雑誌編集者、オンラインメディア発行人を経て独立。2009年にPublickeyを開始しました。
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