パネルディスカッションを成功させるためにモデレータがしなければならないこと(準備編)
ステージの上に専門家が並び、与えられたテーマに沿って本音をぶつけ合う。IT業界ではこうした形態のパネルディスカッションが、ベンダー主催の大きなイベントからコミュニティによる勉強会まで、さまざまな場所で行われています。
筆者(新野)は、10年以上前からパネルディスカッションのモデレータの依頼を数多く受けてきました。おそらく、IT業界においてモデレータをもっとも多くこなしてきたひとりだと思います。
大きなイベントでは、例えば2009年、2010年にIBMのイベント「IBM Rational Software Conference 2009」や「Innovate 2010」で、アジャイル開発をテーマにしたパネルディスカッションのモデレータを担当し、来場者アンケートの評価で2年連続して基調講演を含めて全数十セッション中最高の評価を得たことがありました。コミュニティ主催のイベントでも、昨年の「クラウドごった煮」で国内のクラウドベンダーを集めたパネルディスカッションや、先月の「JavaScript MVC座談会」など、注目を集めるさまざまなパネルディスカッションで好評を得てきました。
モデレータの経験を数多く積んでくると、自分なりのノウハウが生まれてきます。パネルディスカッションを成功させるためにはどのように準備し、本番では何に気をつけたらいいのか。
プレゼンテーションのノウハウについては書籍やネットで広く語られるようになってきていますが、パネルディスカッションやモデレータのノウハウについては、まだほとんど見たことがありません。
そこで、これからイベントなどで行われるパネルディスカッションのモデレータを経験する人のために、あるいはそれを企画する方のために、経験を通して得てきたことをここで共有したいと思います。
実際に書いてみたところ、想像以上に長い記事になってしまったので準備編と本番編の2本に分けました。まずは準備編から。
パネルディスカッションの目的
一般に、パネルディスカッションの目的は「テーマとなる技術や製品について、観客により深く詳しく正しく理解してもらう」ことにあります。しかしそのためになぜプレゼンテーションだけではなく、パネルディスカッションを行うのでしょうか?
成功するパネルディスカッションの第一歩は、「なぜパネルディスカッションを行うのか」を、主催者、パネリスト、モデレータを含む関係者が共有することにあります。そしてそれは、プレゼンテーションにはなくて、パネルディスカッションにはある、いくつかの価値を理解することがポイントです。
価値の1つ目は「各パネリストの肉声としてテーマを語ること」です。プレゼンテーションはいわば、内容があらかじめ決められた公式発表です。そうした建前(たてまえ)を外して、本当のところどうなのか。パネリストがこれをきちんと伝えられれば、観客により深く理解してもらえたり、共感してもらえることでしょう。
2つ目は、「観客が知りたいことをテーマにできる」ことです。プレゼンテーションは基本的に、話者の都合によって伝えたいテーマを選んでいます。でも、そこで語られなかったことの中にも観客の知りたいことが必ずあります。例えば、メリットの裏にデメリットはないのか? 競合と比べても同じことが言えるのか? 現実のシステムで100%の性能を発揮してくれるのか? パネルディスカッションの場でそうした質問にパネリストが正直に答えられれば、情報はより説得力を持って伝えられることでしょう。
そのほかにも、ディスカッションという形式が持つ楽しさやスリル、複数の専門家の意見を同時に聞けることで効率よく情報収集できることなど、パネルディスカッションにはプレゼンテーションにはない価値がいくつもあります。
パネルディスカッションの打ち合わせでは、まず最初にこうした価値を紹介しながら、なぜここでパネルディスカッションを行うのか、その目的について主催者やパネリストなどとの共通認識をするとよいでしょう。
パネルディスカッションの成功とは何か?
目的を確認したら、その目的に沿った成功とは何かについても考えておく必要があります。主催者が企業であれば、当然ながら最終的なゴールは製品やサービスの販売につながることですが、それはイベント全体の成果として時間がたってから分かることです。パネルディスカッションにフォーカスした成功の尺度としては、やはり観客のアンケート結果で高評価を得ることだといえるでしょう。
たとえパネリストがステージ上で気持ちよく言いたいことが主張できたり、あるいは主催者が意図したような議論の展開になったとしても、観客から見て議論が退屈だったり、知りたいことが得られなかったり、興味から外れた議論であれば、ステージ上で話されたことが観客の頭の中に残ることはありません。
多くの場合、パネルディスカッションの前にはプレゼンテーションを中心としたセッションがいくつか行われています。はっきりと伝えたいメッセージはプレゼンテーションで伝えることを優先し、パネルディスカッションでは観客が知りたいこと、興味を持ってくれることを優先するというのがよいと思います。
もちろん、議論にはある程度の着地点があり、それをコントロールすることは可能です。全体としてこういう着地点にしたいというシナリオを考え、それを観客の興味を想定しつつ柔軟にすりあわせていく、という構成が現実的だと思います。
ちなみに、新野はフリーランスの仕事としてモデレータを引き受けるときには2つの満足度を意識せざるを得ません。主催者満足度と観客満足度です。モデレータという仕事の対価としてお金をいただくのは主催者(主に企業)からですから、主催者満足度が低ければ次から仕事の依頼はこないでしょう。主催者が「こういうメッセージを観客に持って帰ってほしい」「こういう内容を伝えるような展開にしたい」といった要望にはできるだけ応えなければなりません。
一方で、主催者の「こうしたい、ああしたい」という要望ばかり受け入れてパネルディスカッションを構成するだけでは、観客の満足度を高めることはできません。するとアンケート結果で高い評価がもらえず、それを見た主催者の満足度は結局のところ下がってしまいます。さらに観客から「あのモデレータ、つまらなかったね」という評判さえ立ちかねません。
ですから新野にとっても最優先は観客満足度です。しかし、そこに軸足を置きつつ主催者満足度を同時に高めていくことを意識しています。
パネリストとモデレータの人選
パネルディスカッションの目的を意識すればおのずと適切なパネリストとモデレータの条件が浮かび上がってくると思います。ほとんどの場合、この人選はイベントの主催者が行うことになるでしょう。
パネリストの人選で注意しなくてはいけないのは、たとえ知識豊富で話がうまくてパネリストに適切だと思われる方でも、社内的なポジションが適切でないとステージ上で積極的に発言できなくなってしまう人がいる、ということです。
パネリストは本番のステージ上で、目の前にいる観客以上に、自社の上司や営業を意識することがあります。そして「こんなことを言ったらあとで上司に怒られるかもしれない。営業から文句を言われるかもしれない」と思うと、自社に都合が悪いと受け取られそうな発言についてとたんに消極的になったり宣伝文句が中心になってしまい、議論がつまらなくなってしまうのです。
観客はたとえ不利な情報でも率直に話すパネリストに共感する一方、形式的な発言に終始するパネリストには白けてしまうものです(また、肉声は本人が想像する以上に話者のメンタルを聞く人に伝えています)。
パネリスト候補の社内的立場まで斟酌して人選を行うのは難しいかもしれませんが、公の場での発言があまり制約されない立場の人をできるだけ選んだ方がいいでしょう。あくまでこれまでの経験からの一般論ですが、営業に近い方はあまり自由に発言しにくかったり宣伝文句が多いようです。逆に現場を知っている技術職である程度社内的地位がある人、組織のしがらみが少ない人、特に普段から情報発信のためにエバンジェリスト的なポジションをまかされている方には、優れたパネリストの方が多いようです。
モデレータの人選は、テーマとなる分野のボキャブラリが理解できる程度には知識があり、観客として想定される人たちの代弁者としてパネリストに質問を投げかけられる人、ということになるでしょう。
事前打ち合わせで行う3つのこと
パネリスト、モデレータが決まれば、主催者ともども集まって本番前に事前の打ち合わせを行うことになります。ここからモデレータの重要性が高まってきます。
パネルディスカッションの成功を大きく左右するのが、モデレータがパネリストから優れた発言を引き出せるかどうかです。そのための作業はこの事前打ち合わせにかかっているといってもいいでしょう。ここでは主に次の3つのことを行います。
- 議題(アジェンダ)を決める
- パネリストの立場や意見を理解する
- 本番のリハーサル
アジェンダは場合によってはあらかじめ主催者によって提案されていることがありますし、事前に具体案がなければモデレータが叩き台を作ってもっていくのもいいでしょう。内容によってはここで最初から相談してもいいです。いずれにせよ、本番で何をアジェンダにするか、ここでパネリスト全員および主催者と検討します。
1つのアジェンダにつき本番では10分から20分程度の議論を想定します。例えば時間が45分なら3つ前後、60分なら4つ前後のアジェンダを用意します。
打ち合わせでは、パネリストの皆さんに対してアジェンダ案に沿ってコメントしてもらいます。ほとんどリハーサルです。例えばこんな感じ。
「アジェンダ案の1つ目は、『クラウドがSIビジネスをどう変えたか?』 なのですが、後藤さん、これについてどう思われますか?」
こうしてパネリストの皆さんに順にコメントしてもらいます。皆さんがそれぞれ対応したコメントをすんなり発言できればオーケーですし、そうでなければ相談しつつ、アジェンダを修正していきます。これをアジェンダ案全体について繰り返していきます。
このように打ち合わせでありながら本番さながらにパネリストに発言してもらうのには、いくつかの理由があります。
まずパネリストの方にはそれぞれ得意な分野とそうでない分野があります。どんな話を振ってもスラスラと面白く答えてくれるパネリストなどそう滅多にいるものではありません。アジェンダをひとつひとつ各パネリストと相談することで、アジェンダがパネリストの得意領域と合致しているかどうかを確認できます。と同時に、パネリストにはアジェンダをより深く理解してもらうことができます。
すべてのアジェンダがすべてのパネリストの得意分野と合致している必要はありません。アジェンダごとに話を振るパネリストを変えればいいのです。
そのためにモデレータとして各パネリストの得意分野を把握することも大事です。技術を語るのが得意な方、事例を豊富に説明できる方、技術の方向性に一家言持っている方など、それぞれの特徴を把握しておけば、モデレータとして議論の途中で誰にどんな投げかけをするのが適切かが判断できます。これによって本番の議論をコントロールしやすくなるのです。
パネリスト同士も、誰がどのような立場で話すのかがお互いに分かります。パネルディスカッションに不慣れなパネリストも少なくありませんが、きちんと準備すれば本番でどのような展開になるのか想像できるため、安心して本番に望むことができます。主催者にとっても、本番がどのようになるのか想像できることで安心できるでしょう。
アジェンダを決めていく際のポイントは前述したように「それが観客の知りたいこと、興味に沿っているか」です。観客から見て興味深いディスカッションとなるテーマかどうかを注意深く検討しつつ、パネリストが有益な発言をできる分野で、かつ主催者の要望にあったもの。モデレータは打ち合わせの中でこれらをうまくバランスさせていく必要があります。
充実した議論ができる状況を作り出す
事前打ち合わせによって、モデレータはパネリストから優れた発言を引き出すためにどのように発言を振ればいいのかという材料を手に入れることができます。と同時に、各パネリストはアジェンダに沿っていつ自分に話が振られるのか、どんな文脈で何を話すのが適切なのか、あらかじめ準備できるようになります。
事前打ち合わせをきちんとしておくことで、パネルディスカッションの本番で充実した議論を行う状況を作り出すことができるようになるのです。
もちろん「パネルディスカッションは事前にあまり打ち合わせをしすぎると、つまらなくなってしまう」という意見があることは承知しています。それはパネリストがみな議論慣れしているときや、あまり利害関係に縛られずに自由に議論できるときには成り立つと思います。
しかし多くのケースでは、適切なアジェンダを事前に作成し、パネリストのキャラクターも把握して望んだ方が、より充実した発言を引き出しやすいはずです。
そして何十回もパネルディスカッションのモデレータを経験して明確に言えることがあります。それは、本番のパネルディスカッションがリハーサルの再現のようになったことなど、これまで一度もなかった、ということです。本番はリハーサルとは必ず違った発言、違った展開になっていきます。しかし事前打ち合わせで作った的確なアジェンダが手許にあり、各パネリストの立場や方向性を把握していればこそ、モデレータとして観客と一緒にその新しい展開を楽しみつつ、落ち着いて議論を進めていくことができるのです。
打ち合わせは必須?
事前打ち合わせですべきことなどを説明してきましたが、事前打ち合わせでアジェンダを作成し、パネリストのキャラを把握するのが主目的であるとするならば、あらかじめアジェンダが想定され、パネリストについても立場の想定がつくような場合には打ち合わせはそれほどしなくてもよい場合があります。あるいはメールでのやりとりでも可能です。実際に打ち合わせなしで望むパネルディスカッションも少なくありません。
ただしその場合でも、本番直前にはモデレータとパネリストでアジェンダの確認をし、どういう意図で議論を方向付けるつもりなのか、といった意識を共有した方がいいでしょう。この程度なら15分もあればできます。
≫本番で議論を盛り上げるためにモデレータすべきこととは? 「本番編」に続きます。
参考記事
モデレータとしてパネリストから発言を引き出してきた経験を基に、SEや営業がお客様の要望をうまくヒアリングできる技術が身につくような講座の内容を紹介しています。前編では、単純な質問を避けるために、文脈の共有や対話的な雰囲気作りのためのテクニックなどを紹介します。
後編では、前編の内容にいくつかの要素を加えてフレームワークのように使いやすくしてみます。
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