Why Ruby again by Matz
5月28日から2日間に渡ってインドのバンガロールで「Ruby Conf India 2011」が開催されました。
そのビデオキーノートとして行われたMatzことまつもとゆきひろ氏のビデオが公開されています。テーマは「Why Ruby Again」(なぜRubyなのか、ふたたび)。まつもと氏が以前から訴えているコミュニティの重要性を説いた内容になっています。
英語で行われたビデオキーノートの内容を、かいつまんで紹介しましょう。
Why Ruby Again
今日は「なぜRubyなのか」というファンダメンタルな疑問について、あらためて話そうと思います。
Ruby関連のカンファレンスは数多くあります。多くは20人から30人程度の小さなものですが、Ruby Kaigiのように参加者が3000人を超える1000人規模の大きなものもあります。
1993年、Rubyのユーザーは私一人でした。1995年にネットに公開したとき、興味を持ってくれた人は100人程度、2000年にはRubyで最初の英語の解説書が登場し、2005年にはRuby on Railsが登場。2008年にはガートナーが、Rubyはおそらく100万人のユーザーがいると予測を発表しています。今年2011年には200万人、2013年には400万人くらいのユーザーになるかもしれません。
わたしたちのコミュニティは急激に大きくなっており、文字通り世界に広がっているのです。そして、マーチン・ファウラー氏は、Rubyのコミュニティの人たちはとてもナイスだと言ってくれました。この素晴らしいコミュニティこそ最大の財産です。
Rubyはもっとも高速な言語や、もっともシンプルな言語や、もっとも容易な言語ではありません。それらはRubyのゴールではありませんし、速度ならC++やJava、シンプルさならLispやHaskellが、容易さならBasicやLogoのような、もっとすぐれた言語があります。
スピードやシンプルさや容易さよりも、それ以上にもっと大事なことがあります。それがコミュニティです。
自発的にRubyを使う人たちを私はRubyistsと読んでいます。彼らはハッカーの心を持っています。
なぜ私たちはRubyを愛するのか、それは私たちが自由やパワーを愛するハッカーであり、Rubyがそれらを与えてくれるからです。しかもそれだけでなく、Rubyには素晴らしいコミュニティがあること、これは非常に幸運なことです。
多くのオープンソースプロジェクトにとって生き残ることは容易ではありません。生き残るためには前に進まなければなりません、そしてそれこそ進化の源泉であり、私は変化を好んでいます。
テクノロジーは、新しいものが登場しては去っていきますが、その中でどれが生き残るのかは分かりません。
そのカギとなるのはキュレーションです。テクノロジーのキュレイターは経験と知恵があり、これだという技術に賭けています。あるキュレイターはRubyこそベストだと言っていますし、わたしもキュレイターのひとりとして、多くの機能の中から選択を行ってRubyを作りました。
つまり私が言いたいのは、フォロワーになるのではなく、自発的選択によってRubyistsになろう、ということです。
自発的にRubyを選ぶ。Rubyを選ぶだけでなく、新しいテクノロジーの中からリーダーとして何かを選ぶ。
それが世界をよくしていく。私たちには素晴らしいコミュニティがあり、あなたもコミュニティの一員なのです。
私はこれからも前進していくことを約束します。一緒に前進していきましょう。